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木陰のアムゼル2号庵

木陰のアムゼル2号庵にようこそ。ドイツで暮らしています。散歩と旅が大好き。琴線に触れたもの達をここに拾い集めていきたいと思います。そして目に留まった日常のさりげない一コマも。


by sternenlied

ケルキラ市 9  聖スピリドン教会 

ケルキラ市の旧市街ってそんなに大きいわけではないのですが、あちらこちらに教会がたくさん建っています。それも賑やかな通りから離れて建ってるわけではなくて、店が立ち並んでいる繁華な通りに溶け込むように建っています。

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たくさんある教会の中でも、聖スピリドン教会はケルキラ島の守護聖人聖スピリドンに捧堂された教会で、島人達の絶大なる崇拝を集めている教会です。この島で生まれた男子の多くはこの聖人にあやかった名前がつけられる程で、ひっきりなしに祈りを捧げに来る信者や他の教会の聖職者達がやってきます。ローレンス∙ダレルも本に書いてますが、ケルキラ島は聖スピリドンであり、聖スピリドンはケルキラ島であると言えるほど聖スピリドンはこの島で崇拝され島と一体化しています。

土産物屋が立ち並ぶ繁華な通り、聖スピリドン教会の長細い鐘楼の塔を目指して歩いてくるとたどり着けます。

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教会前には献灯場所があります。

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何故この教会が絶大な崇拝を集めているかというと、この教会にケルキラ島の守護聖人である聖スピリドンの遺体が祀られているからです。聖スピリドンは3世紀から4世紀という古い時代の聖人でキプロス島の人です。生前数多くの奇跡を行なったという伝説が残っているそうです。死後聖人の遺体は7世紀にキプロス島がサラセン人によって征服されようとしていた時に略奪されることを恐れて東ローマ帝国のコンスタンティノープルに運ばれましたが、墓を開いた時彼の遺体は腐敗の兆候がなくバジリコの香りを放っていたそうで、このことによって聖人としての確信を得られたとか。

1453年にコンスタンティノープルが陥落した時、ケルキラ島の司祭が聖スピリドンの遺体をケルキラ島に運び込んで、彼の家系で代々私的に祀っていたそうですが、16世紀に 聖スピリドンに捧堂された教会が建てられ、それ以降この教会に彼の遺体が祀られています。

彼の遺体が安置されてある銀製の棺は祭壇の横の小さな礼拝室にあって、常時その中に入って祈りを捧げられるようになっています。南欧人の信仰はエモーショナルで信仰の場で聖画等に接吻していくのですが、この棺にも接吻していくようです。時折棺の蓋が開けられ、棺に横たわっている聖人の頭と刺繍の施された織物の靴をはかされた足だけ公開されます。信者達はその頭と足にも接吻を捧げていくようです。前回アップした日曜日に聖スピリドン教会に入ると、丁度棺の蓋が開けられている日で、思いがけなく私達も聖人の体を拝見できるという稀なる機会に恵まれ感激しました。年に4度遺体は神輿に乗せられ行列が通りを練り歩くのだそうです。

もひとつ感激したのは、教会のベンチに座っていたら、20人ほどの青年達を連れた1人の司祭が教会の中に入ってきて、1人1人聖スピリドンの遺体が公開されている礼拝堂へと祈りを捧げに入っていくのですが、この青年達が一同に聖歌を歌い始めたのですよね。並んで歌ってるわけではなく、各々礼拝堂の前に並んでいたり、ベンチに座っていたり、隅に立っていたり、教会の中の色々な場所にいるわけですが、教会の中に力強く和して響き渡る素晴らしい聖歌を聞かせてくれました。彼等はどこかの教会からやってきた聖歌隊のグループだったのだろうか。和声が見事で本当に素晴らしい歌声で昂揚した気分に浸りました。

同じ聖歌ではないのですが、ギリシャ正教会の聖歌というのはこういう感じです。



教会の内部は撮影禁止だったので写真を撮ることはできなかったのですが、下の映像で聖スピリドンの棺や礼拝堂を見ることができます。


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by sternenlied | 2015-11-07 02:09 | 旅(国外)